この春、3年前にハビタット・ジャパンの学生ボランティアチーム「Habitat APU」がGVプログラムを通じで出会ったシヴァンさんのお宅をスタッフが再訪しました。シヴァンさんが暮らすのはカンボジア第二の都市、バッタンバンです。スタッフの到着を笑顔で迎えてくれたシヴァンさんですが、今の暮らしを手にするまでの道のりは、笑顔では語れない苦労の連続だったそうです。
カンボジア内戦が続く1984年頃、シヴァンさん一家は内戦を逃れるため国境を越えタイに向かいました。それから10年もの間一家はタイの難民キャンプで暮らしてきました。バッタンバンはタイに近く、シェムリアップから続く国道を西にどこまでも走っていくとタイまで続いています。内戦が終結した1994年、シヴァンさん一家はカンボジアへの帰郷を遂げましたが、バッタンバンに戻った一家に住む場所はありませんでした。そのため、市内にあるパゴダ(仏塔)敷地内の土地の一部を購入しました。購入といっても、そこは兵士たちが占領していたため、唯一の財産として持っていた金をその兵士たちに支払い獲た土地です。しかし合法的に購入した土地ではないため所有権を証明する書類はもちろん無く、実際はパゴダの土地だったため不法占拠の状態でした。しかし、そこが唯一家族で暮らせる場所であり、シヴァンさんは集めた資材を使って簡易的な家を建てました。それからハビタットによる住宅支援を受けるまで、シヴァンさんはその家で水・氷などを売って生活してきました。
集めた資材で作った家
以前住んでいた家は壊され更地に
2人の子どもたちには将来もっと良い暮らしを送らせたい、そう願うシヴァンさんは、厳しい生活の中子どもたちに仕事をさせることはせず学校に送り続けたと話します。高校卒業後は経済的な事情から大学へ進学させることは叶いませんでしたが、長男はプノンペンへ移動し、平日は働き、自力でその稼ぎをもとに週末は大学へ通うことができたそうです。大学を無事卒業した今、長男は病院で事務マネジャーとして働いています。長女も奨学金をもらいプノンペンの大学に通っています。ただ、奨学金だけでは生活できないため、「英語を使った仕事に就く」という夢の実現に向けて、生活費を稼ぎながら英文学を学ぶ忙しい毎日を過ごしているそうです。
そんなシヴァンさんは、以前住んでいた家で営んだ水を販売する仕事を辞め、新しい家で裁縫の仕事をはじめました。衣類にタスキのような布を縫い付ける仕事は、一着10ドル近くの稼ぎになるそうです。1着作るのには3-4日ほど掛かるそうですが、収入は以前よりも安定するようになったと話します。ハビタットがボランティアと共に建てた家は、質素だけれども、最低限家族が安心・安全に暮らせる住まいです。その住まいは、子どもたちから更なる支援を受け、改築が行われていました。1階建ての家に2階が増築され、レンガ壁の上からコンクリートが塗られ、トイレ・キッチンはリノベーションが施され床にタイルが敷かれていました。2016年に完成した当時の家と比べると、さらに住みやすい家になっているのが感じられます。またシヴァンさんはきちんと掃除をし、家をきれいに維持しようとしているのが見受けられます。子育てを終えた今、これからは自分自身の今後のために少しずつでも貯金ができるようにしたいとシヴァンさんは笑顔で話してくれました。
ハビタットが築いたもの、それは安心・安全に暮らせる住まいを通して、健全で豊かな生活を送る上で必要となる生活の基盤です。その基盤がシヴァンさん一家にとっては、新しい仕事に繋がり、家族が集い、笑顔が築かれる場所になったと感じる再訪となりました。
裁縫の仕事で生計を立てているシヴァンさん
リノベーション後の現在のお宅