インターン清水慶子の「サワディー☆ハビタット」8月号
サワディー!みなさま、お久しぶりです。暑い夏、お元気でお過ごしですか?
長いと思っていた半年のインターン生活も、残すところあと一ヶ月。日本を離れての修行期間ももうすぐ終わりです。今回は4ヶ月半のインターンを通じて感じた、長期滞在の利点をお話したいと思います。
まず、「定点観測」が出来ること!
腰をすえて同じ場所から移り変わる世界を見つめていられるというのは、2週間程度の日程でいくGV(海外建築ボランティア)では味わえない経験です。一つの建築サイトに何度も足を運び、作業を手伝い、汗流して、笑って、一緒にご飯を食べて、歌って踊る・・・そんなことを繰り返しながら徐々に家が建っていくのを実感できることは、何にも代えがたい充実感を与えてくれます。
長くいるぶん住民とのコミュニケーションも多くとれるため、支援地をしばらく離れたりすると「慶子どこ行ってたの?」なんて声をかけられることも。顔を覚えていてくれた子ども達も側によってきてはにこっと笑って「遊ぼう!」とせがんできたりします。
私が定期的に訪れているサイアイというコミュニティーは、以前サワディー5月号でお話した通り、スラムからの強制撤去後、政府機関から斡旋された移転先に移り住んだ人々によって作られた地域です。人々は貯蓄グループを結成して移転先の土地を購入し、ハビタットとパートナー関係を結んで現在82軒の住居建築をしています。
200708201855-1.jpgバンコクでは都市化・工業化に伴い、30年ほど前より地方から流入してきた出稼ぎ労働者達によっていわゆる「スラム」が形成されています。彼らは貧困から市場を介した正規のルートで土地や家を持つことが叶わず、結果として所有権を持たないまま土地を不当に利用し、生きるためにそこを生活の拠点としています。1500以上とも言われるそれらの集落は、常に撤去の対象で立ち退きを求められるコミュニティーは後を絶ちません。
サイアイもそんな事例の一つで、仮住まいのアパートの決して安くない家賃を払いながら終日仕事に明け暮れて家族を養い、週末になると移転先へ出て行っては地域の仲間やボランティアと共にハビタットハウスを建てています。
これまで私は移転先の建築現場しか行ったことがなかったのですが、先日、撤去前のコミュニティーを見にいくことができました。「スラム」という言葉にはいろんなバイアスがかかっていてあまり使いたくないのですが、なるほど彼らの元の居住地は安全とか、適切とかいうものとは違っていました。錆びたトタン屋根、雑然としたつくりの概観。でもそこに生活があって、人々は前向きに生きていて、子どもはどんどん育っている。活気があって思いやりがあって、外の人間でしかない私を喜んで迎えてくれる、そんな場所です。
「あの家きれいだよね。」と、道案内をしてくれた村の少女が指差したのは、家々が撤去された場所に出来た新築のコンドミニアム。きれいだよねと、彼女は何度も繰り返していました。
家は生活の拠点であり、礎です。
そこから家族が生まれ、食事をし、働きに出る両親と学校に行く子どもがいる。人間の営みの原点で、帰ってくる場所がHome、家です。
「開発援助の過程で家が一番重要か」と問われたらそれは難しいのかもしれません。でも今私ができること、そこに思いを馳せたとしたら、それはハビタットのシステムの中で出会った幾人かの人達に何か私がいたことの形を残すことなんだと。やりかけで中途半端になっていた仕事のいくつかを帰る前にもう一度頑張って仕上げよう、そう誓った日でした。
もう一つの利点といえば、「支援地行脚」ができること!
7月の終わりから今月の頭にかけて、支援現場での視察と研修をかねてプーケットとパンガに行ってきました。ハビタット・タイランドではタイ国内13地域で建築支援を行っていますが、それぞれの支援地はエリアごとに「Habitat Resource Center(HRC)」と呼ばれる地域支部によって運営されています。バンコクやチョンブリーなどを統括するのがHRC?Central、チェンマイやチェンライなど北部はHRC?North、今度の一般募集GVの支援先であるウドンタニはHRC?Northeastの管轄で、私が今回訪れたのは南部のHRC?Southです。ここからは現場でのインタビューでわかったHRC?Southの姿をお伝えしたいと思います。
HRC?Southの特徴といえば、なんといっても2004年12月に発生したインド洋津波支援での実績でしょう。ハビタット・タイは2005年3月に災害復興支援を開始、ハビタット・インターナショナルの指導の下、ハビタット・インド、インドネシア、スリランカと合わせた4カ国で世界各地から集まった支援金や物資を分配し被災者支援にあたりました。タイでは被害の大きかったTachachaiという地域を活動の拠点に国内外からの約1400人ボランティアを動員、合計で756軒の家を建築、修復した経験をもっています。またこの津波プロジェクトにはJWマリオット、Cargil、Ford、City Bank、AIA/AIGなどの多くの企業が寄付をよせ、ハビタット・タイの活動を支える大きな原動力になりました。
これら津波被災者の対しては、通常の無利息・無利子の融資ではなく「無償提供」による住宅支援が行われ被災者の早期の自立を促しました。一方ホームオーナーが住宅の建設に参加する「スウェット・エクイティー」の原則はこのときも採用され、ハビタットのポリシーである「参加型」の支援が継承されたことも特色のひとつでしょう。
さらにこの津波支援では、被災住民の社会復帰と所得向上のためにBatic(バティ)という南部伝統の染物をホームオーナグループと制作、販売していました。型抜き、染色などの作業は住民自身が行い、現在でもパンガにあるHRC?Southのオフィスで販売をしています。
2007年1月から通常の住宅建築支援を開始したHRC?South。これまでに約120軒の家を建設、修繕してきました。ホームオーナーの月平均世帯収入はおよそ8000?12000バーツで、その中から 月1000?2000バーツを返済として当てているとのこと。返済状況も好調のようでした。
ここで、私が今回訪れたパンガーのNatoeyという土地で現在進行中のプロジェクトをご紹介しましょう。2006年10月から開始された同プロジェクトでは、ハビタットでの住宅建築はsub-district officeを通じて住民に呼びかけられました。そこに申し出た11家族とともにインター・ロックキング・ブロック形式の家を建てています。そしてなんと、このブロックも住民自身によって作られています!専用のブリックサイトでは何種類かの砂、セメントを混ぜ、人力で圧縮し、乾燥させることで家の重要な資材となるブロックを作り、それを11軒の住宅に使用しています。完成した家の壁の色が一つ一つ微妙に異なっているのは、そういった手づくりの跡が表れているのです。
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最後に、今回の南部研修での最大の収穫である「コミュニティーセンター」の実態調査についてお伝えしたいと思います。個人所有の家ではなく、地域住民が集う公共施設としての同センターでは住民への教育支援や、生涯教育活動、集会所、レクレーションのための施設として利用されると想定されたもの。建築終了後はコミュニティーのオーナーシップを尊重するために住民にその管理・運営が任されています。
地域活動の拠点として、個々の家を結ぶ「ハブ」になるコミュニティーセンターという考え方は、ハビタット・タイが今後進めていく「コミュニティー・ディベロップメント(地域開発)」の雛形として注目されています。私が6、7月ごろお手伝いをしたODA(政府開発援助)の提案書もこういった集会所をサイアイに建設することを目指して書き上げられたものだったので、個人的にも非常に興味のある場所だったのです。
実際に現場を訪れてわかったこと、それは甘くない支援の現実でした。
複数の地域住民にセンターについてインタビューをしてみて、ハビタットのセンターは住民に移管後あまり活用されていないことがわかりました。住民はこのセンターを地域住民共用の運動施設として使いたいと考えているようですが、運動のための器具がまだ設置されておらず現在は地方政府がそのための予算をつけ提供してくれるのを待っているという状態のようです。また地域の集会のためには同じ集落内の既存のコミュニティーセンターを利用していることがわかりました。元からあるセンターに比して、ハビタットのセンターは狭く、マイク、イス、テーブル等会議のための設備が整っていないことや、場所も利用しにくいことから会議での利用は難しいとのこと。聞き取り調査からはこのように、支援理念と目的を現実に遂行し裨益者に見える形で提供することの困難さと、住民自身がプロジェクトの成果物を運営し十分に管理していくとこがいかに長い時間と労力を要するかを痛感しました。
インタビューに応じてくれた住民の一人は、「運動設備さえ揃えば、このコミュニティーセンターは地域にとって重要」として将来の利用を心待ちにしていました。3000人、600家族ほどが住んでいる同地域において、特に高齢者や子どもが健康を維持するための運動施設としてハビタットのコミュニティーセンターが機能すればその存在意義は大きく、自らもその活動に参加するのが楽しみだと。また、現在このセンターの隣でハビタットは16軒の住宅を建築中です。第2フェーズはさらに30軒を建築予定で、この家々にオーナーが入居するころにはセンターにも人があふれ活気に満ちた活動の場になるのではないかと期待されています。
いずれにせよ、何事も一朝一夕にいかないのが開発援助という活動の避けられざる性質です。中長期的な視野にたって、一つの村、町にとって何が一番求められているか。それを実現するためにはどういったプロセスが必要かを考え、できるだけ多くの住民の参加のもとにコミュニティーを創り上げていく、根気のいる作業なのだと実感しています。
こうやって振り返ってみると、長期滞在は、定点で観察し、広く渡り歩いて、草の根で取り組むことの醍醐味を感じるための最良の手段ではないかと思います。残りあと一ヶ月となりましたが、このチャンスを無駄にせずできる限りを楽しんで、実りある時間にしたいです。
もう少しの間、応援どうぞよろしくお願いします!