未曾有の被害をもたらした東日本大震災が発生してから今年の3月で5年が経過しました。ハビタットも震災直後より緊急支援を開始。宮城県と岩手県に拠点を構え、約4年にわたり住民に寄り添い、一人でも多くの方が安心して暮らせる住まいを取り戻せるよう支援にあたってきました。

変わり行く現地のニーズに対応しながら支援を展開する中で取り組んだ一つが、今日、ここでお伝えする仮設住宅における支援。長期に及ぶ可能性のある仮設住宅での生活が少しでも健全なものになるよう、そして、住まいが明日への希望が見出せる場所となるよう、仮設住宅で物置をはじめ、ベランダやひさし、踏み台など、居住空間を改善するための物づくりをボランティアと共に行いました。

そして、仮設住宅での物づくり支援を開始した当初に出会ったのが、岩手県大船渡市三陸町越喜来に位置する杉下応急仮設住宅です。その仮設住宅も5年の歳月を経て大きく移り変わろうとしています。それに伴い、2016年7月24日、杉下仮設住宅のお別れ会が開催されることになりました。当時現地に駐在していたハビタット・スタッフ(小松さん)をはじめ、大変ありがたいことに、ハビタットもお別れ会にお招きいただきました。お別れ会に参加した小松さんがお寄せくださった寄稿を通じて、当日の様子をお伝えします。

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岩手県大船渡市三陸町越喜来の杉下応急仮設住宅で、仮設住宅のお別れ会が、2016724日に開かれました。杉下仮設住宅は、大船渡市にあった37の仮設住宅の一つで、2011年6月に開設、当初は84世帯が入居しました。
この日は、杉下仮設の自治会の主催するお別れ会で、かつての住民の方、現在の住民の方が一堂に集い、約5年にわたる仮設住宅にお別れをしました。会場は、被災し再建された三陸町公民館です。

はじめにこの大震災で亡くなった方に黙祷を捧げました。

続いて自治会長の鈴木さんが、「今日は、杉下仮設住宅へのお別れの会で、仮設住民へのお別れ会ではありません。1,000年に一度の大災害を共に乗り越えてきた杉下仮設住民の繋がりはこれからもずっと続きます。84世帯いた住民も、10世帯くらいが残りますが、その方たちも行先の目途がついてきました。そこで仮設住宅への感謝、支援をして下さった方への感謝をし、住民が一緒の時を過ごそうとここに集まりました。」と挨拶されました。

参加者は90名を越えました。山海の珍味のご馳走は、被災後再建された越喜来の嘉宝荘の料理です。会は午前11時からですが、ビールや酒が早くも振る舞われ、仮設住民が次々に思い出を語りました。「仮設住宅でお互いに声をかけあって、支え合ってきた。」「今は仮設を離れたが、皆で一つになっていた仮設の暮らしが懐かしい。本当にありがとう」と当時の思い出と感謝の言葉が続きました。そして「にいやのおっかあ」(当地ではみな屋号で人を呼びます)の歌が飛び出すなど、大いにもりあがりました。ハビタットで住宅支援した佐藤さんにもマイクが回りましたが、おしょっす(恥ずかしがり屋のこと)、の佐藤さんは、ひたすら逃げ回っておりました。

仮設住宅の支援員さん達が、何日もかけて準備した思い出の写真が、舞台上の大スクリーンに、次々と映し出され、盆踊りやカラオケ大会の動画も披露されました。地元の新聞、東海新報や、岩手日報、岩手めんこいテレビ、NHK釜石なども取材に来ていて、司会者の無茶ブリで、記者全員逆にコメントを求められ、それに会場から質問が飛び交うと言った塩梅でした。

宴会中も、「私はハビタットに住宅修繕の支援をしてもらいました。本当にありがとう。でもあなた私の顔を覚えている?」と何人もの方がわざわざ私のところに来て声をかけてくださいました。


宴もたけなわとなり、今日声をかけてもらった支援団体も順に挨拶しました。ハビタットにも順番が来て、声掛けしてもらった感謝、杉下仮設の初期の受け入れがその後のハビタットの活動の支えになった感謝、今は熊本支援で今日は1名のみしか来れないお詫びをお伝えしました。

やがて全員で一つの輪になって、桜音頭を踊り、お開きとなりました。「今のはリハーサル、これが本番」と、何度も踊りました。(桜音頭は、大船渡では結婚式などのお開きに踊る習わしです。)

注:大船渡市に37団地1801世帯あった仮設住宅は、平成30年度までに3団地464戸を残し、いったん解体集約されます。杉下仮設は、当面残る3つの仮設住宅団地の一つです。