能登半島地震の被災地では、この夏、多くの地域で心の復興を願った「祭り」の再開が後押しされました。ハビタットが被災地支援に取り組んだ門前町黒島地区では、8月17日(土)と18日(日)の2日間に渡って、「黒島天領祭」と呼ばれる夏のお祭りが開催されました。晴天の下、黒島町中が大いににぎわったこのお祭りには、ハビタットの被災地支援を現地で支え続けたユースインターンの水野さん、そして金沢大学を拠点に活動するハビタットのキャンパスチャプター「金大ハビタット」のメンバーが、地域の復興に寄り添い、ボランティアとしてお祭りに参加しました。水野さんが当日の様子を振り返り、寄稿文を寄せてくれました。
黒島天領祭が開催された黒島の地は、1684年(貞享元年)より天領に定められ、江戸幕府の直轄地となった地区です。黒島の町は、北前船の寄港地として船主および船員の居住地として繁栄し、黒瓦の屋根に板張りの建物が立ち並び、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として定められています。僕が黒島を訪れたのは震災後の春ですが、黒島地区は並行して伸びる細い小路に沿って昔ながらの家屋が立ち並び、黒島地区からは日本海が眼下に広がり、震災前の美しい景観が想像できます。
黒島天領祭は、北前船の航海の安全を祈願して江戸時代中期に始まったとされる伝統的なお祭りです。大阪城と名古屋城をかたどった高さ約12mの2台の曳山(山車)が、黒島の縦に長い南北約1300mの町並みを巡る、活気あふれたお祭りです。
地震によって神輿が被害を受けてしまったことなどから神事の催行が難しく、夏のお祭りは従来とは異なる形になりましたが、住民さんたちが何度も意見を交わし合い、曳山の巡行イベントとして開催に至りました。曳山が通る家屋や道路にはまだまだ地震の爪痕が残る中での開催でしたが、地域の重要な伝統行事の1つとして、当日は黒島の住民の方・黒島の地にゆかりのある方が大勢集まりました。ハッピをまとい帽子を被った住民さんが威勢のよい掛け声とともに曳山を動かす姿は大迫力で、地域の底力を感じる2日間となりました。
能登半島地震により甚大な被害を受けた門前町の復興には、どれだけの歳月がかかるか推し量れません。ハビタットでは、門前町の復興を身近で支え、見守れる担い手として、金大ハビタットの学生たちによる活動への参加を積極的に働きかけ、地元住民とのつながり作りに取り組んできました。そうした思いが実り、地元の方からお祭りへのお誘いを受け、金大ハビタットの学生たちが、地域の伝統を守り、地震によって被害を受けた黒島の地を活気づけたいとの思いをもって黒島天領祭に参加してくれました。
ボランティアに参加した金大ハビタットのメンバーは、住民さんの勧めで曳山の進行方向を調整する「舵棒」で舵取りをしたり、綱を引いて曳山を動かしたりしました。重量のある大きな曳山が道幅の狭い道路を通す際には、体力だけでなくチームワークも必要となり、町の方々と協力して曳山巡行のお手伝いをしました。当日は、参加者やボランティアのために開放された地区の公民館に金大ハビタットのメンバーも宿泊し、住民さんたちとの交流を更に深めることができていたようです。参加したメンバーからは、「お祭りの一員に加われて良かった」、「住民の方、他のボランティアの方と関われて楽しかった」、「黒島の伝統の一部を担わせてもらえてよかった。来年もぜひ参加したい」、「地震でこのお祭りのような文化がなくなってしまうのはもったいない。継続的に関わりたい」などといった感想が聞かれました。
僕自身もそうですが、活動を通じて関りをもった人とのつながりは、地域への愛着にかわります。震災後に初めて訪れた能登半島ですが、家屋片付けや建築士相談をはじめ、お祭りに参加するなど、住民さんとまじわり、時に共に汗を流すことでこの地域への愛着が育まれ、復興を願い、見守り続けたいという原動力になっています。お祭りに参加し、復興を願う想いを住民さんと一緒に担げた経験は忘れることのない、大切な思い出となりました。
ハビタットの被災地支援は9月をもって一区切りを迎えました。しかし、被災地が震災から復興するには多くの歳月を要します。ハビタットとして被災地を支える中長期の支援を模索すると共に、今後も引き続き門前町の復興に携わる金大ハビタットの取り組みを応援し、見守ってまいります。