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ウクライナ危機:ハンガリーに逃れて救われた一家

2022/05/20

ハビタット・フォー・ヒューマニティはロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって以来、ウクライナ近隣諸国のポーランド、ハンガリーそしてルーマニアで避難民への支援に取り組んでいます。(ウクライナ人道危機による各国での支援策、活動へのご寄付はこちら

ハンガリーでは、人道危機発生直後より物資支援として水やおむつをはじめ、避難所に寝具用のマットレスを支援するなどの取り組みを行い、現在は、首都ブダペスト市内とその近郊で避難民の方の滞在先の紹介を支援しています。避難民の方に一時的に滞在先を提供する家主との調整をはじめ、賃貸にあたる法的契約や翻訳サービス、また移動に伴う送迎サービスなども提供し、これまでに48室を提供し、今後は半年間以上滞在できる物件100室の管理を目指しています。また、他団体と協働で取り組む「連帯宿泊施設支援プログラム」では、既に60室のアパートを確保し、40世帯の避難民が生活を始めています。

「連帯宿泊支援プログラム」はハビタットを含めた住宅支援に取り組む団体が連携し、ブタペストで、ウクライナからの避難民に中期的(2週間から半年程度)な住居を提供できる家主を募集し、避難所などに滞在する方に情報を提供し、家主とのマッチングを図るプログラムです。このプログラムを通じてアパートに入居したオルガさん一家のストーリーをご覧ください。


左:リリヤさん 中央:ナスティアさん 右:母親のオリガさん

ウクライナ出身のオルガさんとその娘たちは、2022年3月にウクライナからハンガリーに避難してきました。一家は、ハビタット・フォー・ヒューマニティ・ハンガリーが他団体と連携して取り組む「連帯宿泊支援プログラム」を通じて滞在先を見つけた避難民世帯の一つです。

オルガさんと次女のナスティア(11歳)さんは、ウクライナの首都キーウから北西にある街、ブチャに住んでいました。ブチャの街は、ロシア軍によるウクライナ侵攻が始まって以来、激しい砲撃を受けた街の一つです。母子がブチャから無事に避難できるようになるまでは、2週間もの時間を要したそうです。一方、既に実家を出てキーウに住んでいたオルガさんの長女リリヤ(20代)さんは、侵攻の翌日にキーウから脱出し、ウクライナ西部のリヴィウという街で、母と妹が避難してくるのを待っていたそうです。

それから2週間、リヴィウで再開できた一家は、オルガさんの友人を頼ってハンガリーに向かい、そこで数日間を過ごしました。そして、一家はハンガリーの首都ブダペストの駅でボランティアから「連帯宿泊支援プログラム」について話を聞き、この4月、プログラムを通じて無事にアパートに移り住むことができました。滞在期間は2ヶ月ですが、必要に応じてさらに2ヶ月の延長を行うことが可能です。

オルガさん一家をハビタットのスタッフが訪問すると、「ズドラーストヴイテ(ロシア語で「こんにちは」)」と大きな声で迎え入れてくれた。そして意気揚々とインタビューが始まりました。「私たちは猫2匹と一緒にウクライナを離れたので、滞在先を見つけるのはとても大変でした」とオルガさんは話します。ペットを連れて泊まれる宿泊施設はほとんどないため、避難民の中には、ペットを自宅に置き去りにするしかなかった方も多く、「何十匹、何百匹もの動物たちが、食べ物や避難できる場所を求めてブチャの街を駆け回っているのを見たときはショックでした」と当時の様子を振り返りながら、たくさんのことを話してくれました。

「戦闘が激しくなったころ、私たちの多くは地下に隠れ、近隣の人たちが食べ物を持ち寄り、互いに助け合っていました」と話します。ロシア軍が町を占領した後は、窓に近づくことさえ危険で、爆発音を聞いた親たちは、子ども達に「あれはウクライナの勝利の音だ、戦争はもうすぐ終わる」と子供たちを安心させようとしていたそうです。しかし、「ロシアの戦車が通りを行きかうのと見た時、私たちは子どもたちに何を言っていいのかわかりませんでした。私たちは泣き、子どもたちも泣いていました。マリウポリの人たちと同じような恐怖をブチャで味わうことがないようにと、ただ願っていました」とオルガさんは当時を振り返ります。人道回廊が設置されなければ、街を離れることは安全ではありませんでした。オルガさんの隣人の中には、早く避難することを決めたものの、結果的に街を出ることができなかった人もいるそうです。

「私自身驚いているのですが、国を出ようと決めたときの気持ちはもう覚えていません。娘の決断に完全に頼り切っていました。家を出る以外の選択肢はなかったような気がします。ただ、もっと早く出て行けばよかったと後悔しています」そう語るオルガさんの話を聞くリリヤさんの表情は悲しげでした。「今は、避難できてよかったです」そうリリヤさんが続けます。避難した先のリヴィウは既に多くの避難民で溢れ、一家が滞在できる場所を見つけるのは困難だったそうです。「砲撃をはじめとする恐怖によるトラウマを回避する方法があるのなら、避難するチャンスをつかまなければならないと思うのです。避難したことで、魂が救われたような気がします」そうリリヤさんは教えてくれました。

「私たちは、とても感謝しています。このプログラムは私たち家族を助けてくれました。皆さんがどれほど親切に私たちを迎え入れてくれたか、信じられないほどです」と話すオルガさんですが、ウクライナの故郷がとても恋しいそうです。ロシアのことわざ「客人であることもよいが、家にいることはもっとよい」を引用し、戦争が終わったらすぐにでも家に戻りたいと話します。

オルガさんは会計士でしたが、ハンガリーでは会計士として働くことができないため、今は部屋を掃除したり、散歩したりするなど、自分の時間を大切にしているそうです。リリヤさんはリモートで仕事に就き、次女のナスティアさんはオンライン授業を再開しました。いつ終わるか分からない戦争に翻弄されながらも、一家は家族が集い、体を休めることができる「住まい」を基盤に、未来に希望をもって新しい生活をスタートしています。

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