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活動報告・お知らせ
震災から5年目のコミュニティを訪ねて
宮城県の最も東に位置する女川町は、5年前の東日本大震災で14.8mもの津波に襲われ、全家屋の89.2%が被害を受けました。(女川町企画課防災係発表)その多くが、推定44トン(女川町総務課秘書広報課発表)とも言われるがれきと化したのでした。右の写真は2011年夏に、海抜16メートルの高台にある町立病院から女川港方面を撮影した様子です。細長い谷地の女川では、水の勢いが増し、さらに高い波が病院の一階部分にまで到達しました。
![Futon_Onagawa_20110922 (62).JPG](http://www.habitatjp.org/jpblog/assets_c/2016/03/Futon_Onagawa_20110922%20%2862%29-thumb-200x133-10576.jpg)
![DR5years2.jpg](http://www.habitatjp.org/jpblog/assets_c/2016/03/DR5years2-thumb-200x132-10578.jpg)
その後、高城浜地域でもがれき撤去が進み、跡地に仮設住宅が建てられました。仮設住宅には集会所があり、地域の人たちが集う場所もありましたが、高台にある復興支援住宅へと移転が進むと、住民は別々の場所で生活の再建が進みます。そこで、高城浜に集う場所がなくなってしまうことから、浜に唯一残った納屋を修繕し、誰もが集うコミュニティスペースを作りたい、そう希望するようになったと八木さんは語ります。
![DR5years1.jpg](http://www.habitatjp.org/jpblog/assets_c/2016/03/DR5years1-thumb-200x132-10580.jpg)
「ゆめハウスでは、昔から食べていた女川の料理を、地域のお母さんたちが集まって作ってくれています。また畑ではイチジクや唐辛子を栽培しています。唐辛子のような軽いものならば、高齢者でも簡単に収穫できるでしょう?女川は漁師町ですから、私たちが農業を中心に活動しているのは、地域の雇用の機会を奪わずに、収入を得ながら共存していけるようにするためなんです。」
「今必要なのは、人々が集まれる場所」と語る八木さん。ハビタットが目指したコミュニティ支援は、地域の方が集い、自分たちでその地域のニーズに応えていけるような環境を整えていくこと。今まさに被災地の小さなコミュニティで、その活動が地域の方に引き継がれています。
![特定非営利活動法人ハビタット・フォー・ヒューマニティ・ジャパン](../../../co_img/bottom_name.gif)